Y版山姥日記

旧山姥日記

12月4日5日の富士山・ああマラソン大会

12月4日午前8時44分頃
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12月5日午後4期32分頃
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先週だったかその前だったか
地区の交通安全委員の男性から電話があり
同じく女性バージョンのワタシは
小中学校のマラソン大会の交通整理を仰せつかった。


末っ子で長男の小学校1・2年の担任の先生が
小学校の校長先生になっておられて

朝、ご挨拶した。

先生早起きできるようになりました。

長女の社会科見学の集合時刻に遅れてからと言うもの
我が家は要注意で、代々の先生に言い継がれていたらしい。

ヨルトシナミで早起きはお得意なのだ、今は。



で、

8時15分集合で
開会式の後、持ち場まで歩いていく。

その持ち場は中学生だけが走るコースで
子供達が来るまで1時間以上待たなければいけない。

しかも、この持ち場はワタシ一人の担当で
眼前には富士山がどぉ~~んといらっしゃるのだ。



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5日午前8時50分頃


そう。
この地区の小中学校は
ラソン大会もそうだけど運動会も合同で行われる。

中合わせたグラウンドはめちゃくちゃ広い。
小学校の1・2年生はこのグラウンド内がマラソンコース。



そういえば
長女も次女もマラソンは苦手で
待てど暮らせどなかなかゴール地点には来なかった。

今はどうか分らないが、その頃の母親達は容赦がなく
「あんたんちの子、来ないねぇ」と、ニヤニヤしていた。

それが末の息子は運動が得意で
ニコニコと余裕の表情でゴールに一番にやって来た。

そのとき、積年の溜飲を下げたことは
今でもちゃんと記憶している。




中学生がスタートを切った放送が聞こえてくる。

最初は女子で、その後男子が来る。


オバちゃんはやる気のない声で
「もうちょっとだからねぇ」と一人ひとりに声を掛けた。

ゴール間近の地点なので
どの子も苦しそうに走っていく。

どこのバーサンか知らないバーサンに
やる気のない声援を受けても、うるさいだけだろうな
とは、思っていたけど

何を言ったらいいかわからないから
全員に声を掛けた。

全員といたって百人はいないかな・・・。




若いお母さんたちの様子を見ていると

ワタシもああだったんだなと思う。



どのオカアサンも眼を輝かせて子供を応援して
それがどんなに幸せなことかは分ってはいない。


過ぎてしまってから
あの頃は楽しかったなぁ、
忙しくって泣いてたけど、楽しかったなぁ
と、思うのだ。



そう、過ぎてから思い出す。



過ぎた年月は決して帰ってこないのに

こんなことがあると
とても幸せで充実した日々を思い出せる。



楽しいひとときだった。



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