Y版山姥日記

旧山姥日記

7月29日から31日の富士山・7月にごきげんよう

7月29日
午前5時7分頃
イメージ 1
 
午前5時19分頃
イメージ 2
 
イメージ 3
 
 
 
7月30日午前4時45分頃
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 
 
7月31日
午前5時6分頃
イメージ 6
 
イメージ 7
 
午後5時56分頃
イメージ 8
 
イメージ 9
 
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
毎日毎日僕らは鉄板の・・・
 
と、嘆きつつ空を見上げる。
 
 
 
日の出のころは見えている富士山も
やがて雲に包まれて
日中は見ることができない日が続いた。
 
 
 
 
今朝の「花子とアン」は関東大震災
 
見ながら思う。
 
亡くなった母が言っていた。
 
 
私は縁側に寝かされていて、
家の者は皆、使用人も親兄弟も竹やぶに入り、
縁側の私を固唾を呑んで見守っていたそうだ、と。
 
 
母は大正11年1月生まれ。
成田の旧家のお嬢ちゃまだった。
 
その後、母の家は没落し
一家で上京し、東京大空襲に遭遇する。
 
 
 
そんなこんなを夫に話しながらの朝食。
 
 
そんな朝食の時
 
夫は蝉の声に聞き入る。
 
 
基本的にワタシは生き物が好きではない。
犬も猫も家族になれば情が移り
隣近所の犬猫もそれなりに可愛がる。
 
ところが夫は
どこからか入り込んだ野鼠まで飼いたがり
 
「おたまや・・」と
オタマジャクシを一箇所に集め孵化させる。
夏のお楽しみだ。
 
 
今年は春ゼミが鳴かなかった。
ミンミンゼミも少ない。
 
と、嘆く夫に
夏はこれからだと慰める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
暑い暑いと文句を言いながら
 
7月に