Y版山姥日記

旧山姥日記

7月8日の富士山・終の棲家

7月8日
午前9時43分頃
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午後7時頃
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父母が終の棲家にと求めた家は伊豆にあり
主たちが鬼籍に入る直前から貸家となっていた。
 
その何代目かの借家人が退去し
また新しい借りてくれる人が現れた。
 
築35年弱の一軒家だけれど
年寄りが住むにはちょうどいいくらいの広さがある。
 
三間あり小さな台所と
後から建て増したサンルームと
三つの自然石を配置した小さな庭と裏庭。
 
 
夫に頼んで一緒にその家を見に行った。
 
 
 
以前、見に行ったときは
借家人が住んでいて他人の家という感じだったが
 
今日は
すべての家具が取り払われ
 
父が愛した広い廊下や
母が愛した庭の見える仏間も
ただただガランとしていて
 
けれども
 
そこに確かに住んでいた父や母の笑う顔を思い出した。
 
 
 
 
 
 
この伊豆の家を建てたばかりのころ
私たち家族とよく食べに行ったお蕎麦屋さんはまだ営業していて
なんと、裕次郎のラベルの貼ってあるお酒の瓶が・・・
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父母が鬼籍に入って何年が経ったのか
よく覚えていない。
 
 
親は永遠に生きているものだと思っていた。
 
 
 
 
長い年月がたち
私たち夫婦は親と一緒に暮らした年月より遥かに長く一緒にいる。
 
でも
親への思いは格別で
伊豆のあの家で過ごしたお正月や夏休みを
思い出すと
 
なぜ
永遠はないのかと不思議にさえ思う。
 
 
 
 
それでも
また新しい借家人が入り
その人たちの家になる。
 
それもまた
あの家の運命だ。
 
 
 
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あの家の広い廊下に
月下美人を何鉢も育て
 
母に見せたいばかりに咲く時間を調節していた父。
父のその姿を笑いながらワタシに話した母。
 
 
 
 
父さんと母さんの本当の終の棲家は
早くに逝ってしまった娘が先に入っているあの千葉の墓所だね。
 
 
千葉の海に生まれた父と
千葉の山に生まれた母と
二人の人生を思うとき
 
苦労し続けた二人だけれど
案外、幸せだったのではないかと思う。
 
 
 
 
 
 
終の棲家って
何処なんだろう…