山のオバちゃん弾丸一泊旅行の顛末・会津編
毎年、6月の第2週の日曜と月曜は
山のオバちゃんが小型の観光バスに乗り込んで旅行するのであります。
年金を沢山貰っているオバちゃんたちは年に何回も旅行できますが
ワタクシ、自慢ではありませんけれど年金まだだし・・・
年末からはもらえるんだけど(17歳だけどね)振込み料の方が絶対高いです。
愚痴はともかく
6月9日午前6時ちょっと過ぎ、ワタシは車中の人と相成りましたです。
それから幾たびか休憩を挟んで7時間『塔のへつり』へ到着でありまする。
奇岩でありますが
説明も聞きましたが
全て忘却・・・
つり橋渡るって誰か教えてくれたのかなぁ。
渡っている途中で気が付きましたです。
「30人まで」
と書いてあったのを読んだのは
往復した後の事。
写真全部
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賽の河原のように
小石が積んでありました。
なんだか胸が痛みます。
説明聞いたとは思うけど
忘却の・・・
で、次はバスで10分くらいの『湯野上温泉駅』
ここの説明は覚えております。
ニッポンで唯一の茅葺の駅舎だそうで
この斜め前のお店で
竹で作った鬼おろしを買いました。
けれども
使うことはないだろうなぁ。
ホンでもって次が超有名な『大内宿』
すっかり観光地になっていますが
それはそれで楽しく思いました。
だけど
買うべき物が見当たらない。
お土産どうしようかなぁ。
屋根の吹き替え作業でしょうか。
暫し
足を止めて見学。
茅場はどこにあるんだろう
などと、思ったりしながら。
子安観音堂のあたりから見た風景。
子安講と言うのが
何年か前まで村にもありました。
年に一度
女衆さんが集まって
子供が健やかでありますようにと
子安さんに祈念し
その後は飲めや歌えの楽しいひと時。
いまはもう、その風習もありません。
その夜は芦ノ牧温泉大川荘で一泊。
オバちゃんと添乗員のオニイチャンと宴会です。
訃報が多く入ってきていたのでしんみりとしていましたが
「まじょまじょ、鉄腕アトム歌いま~~す」から始まって
なかなかに賑やかな宴会になりましたです。
最後は「青い山脈」で
「チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、チャラチャラチャンチャンチャァァァン♪」
と、みんなで輪になって楽しくお開きでありまする。
翌日は朝5時には起床。
露天風呂へ急ぎます。極楽極楽とタオルを頭にのせ、眠気を飛ばします。
んでもって
図書館の1階に少しだけ展示があって、八重さんの銃を撃つ真似が出来ます。
命中いたしましたが、なんか、おまけのような気もします。
白い起き上がりこぼしに
マーカーで色塗りできるコーナーがあり
なかなか楽しく塗りましたが
お見せできるようなものでもないけど、恥は掻き捨て♪
で、とうとう飯盛山の見学です。
昨日の大河ドラマも「何で子供まで!」と怒りながら見ておりました。
お土産やさんが今年からガイドを務めるようになったそうです。
若いオネエチャンがガイドを務めてくれました。
白虎隊のお墓(←)と
ガイドのオネエチャン説明を聞く
山のオバちゃんたち(↑)
その後、飯盛山を散策し、
一人生き残った白虎隊員の墓には遺髪と遺爪がご遺族の手で入れられてとか
ここが白虎隊自刃の場所とか
残った女たちはわが子を手にかけてから自死を遂げたとか
涙なくしては(流石のワタシもです)聞けないお話の数々。
さて、
ワタクシが一番楽しみにしていたのがすぐ近くにある
さざえ堂であります。見たかったのよ。
二重螺旋ときけば
レオナルド・ダ・ヴィンチを思い出し
ニッポンにもあったと聞き及んだときの感動は
今でもはっきりと覚えてはいるのですが
いつ、どこで、だれから
聞いたかは忘却済みです。
あの大地震のとき
さざえ堂は崩れてしまったと思ったのが
なんでもなかったこと
ピサの斜塔のように傾いて見えるが
本当は傾いていないなど
オネエチャンの説明はとても良かったです。
ほとほと疲れて、帰宅できたのが午後9時半過ぎ。
疲れる暇もなく
この地区の女衆は翌日から通夜葬儀の仕度に飛び回ることになりました。
4つの村で4件の訃報ですから、すっごいことになっちゃったわけです。
でも、
懲りずに「来年はどこに行きたい?」と言い継ぎが廻ってきましたです。
山のオバちゃん弾丸一泊旅行は来年も続きます。
おまけの一枚と少しだけ言い訳
❤の模様の鯉
毘沙門沼(五色沼のひとつ)におりました。
見ることができれば幸運とか。
でも、すぐに寄って来ました、餌もないのに。
「まじょまじょにこういう旅行は似合わない」
と、はっきり「やめなさい」と言う友人も何人かいますが
ワタクシといたしましては
山のオバちゃんの王道を歩んでいる自負があるので
来年もまた、大騒ぎで行きたいと思います。