Y版山姥日記

旧山姥日記

3月28日29日の富士山・黄昏時

3月28日午後5時58分頃
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3月29日午後0時48分ごろ
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夕暮れ、お町から帰宅のとき
帰宅ラッシュにぶつかるとシマッタと舌打したくなる。
と、言ったって
田舎のラッシュだから高が知れている。
でも、田舎の渋滞ほど腹の立つものはないのだ。
 
 
 
話はそういうことではなくて
 
 
 
冬の黄昏時はもっと早い時間で
冬枯れの山の木々を透かして見える温かな残照は
本当に美しいと見惚れるほどだった。
残照そのものの色が激しくて濃くて美しかったのだ。
 
 
最近の夕暮れ時は会社が退けるときとほぼ同じ。
会社から自宅に急ぐ車を運転する母親らしき人々の
殺気に満ちたその表情を横目で見る。
 
彼女たちには
この柔らかな残照の美しさ優しさは目に入らないかもしれない。
一目散に家に帰り、夕飯の支度をし
子供らの世話や亭主の世話をしなければならないのだろうし
一日が48時間あればいいと思っているかもしれない。
 
 
ワタシはそうだった。
忙しくて眠くて嫌になったと投げ出すことの出来ない日常を
生きていくしかなかったあの頃を思い出している。
 
今現在のワタシには
若さはないけれど、優しい色の残照を眺めることが出来る。
守らなければならない幼子もいない。
 
近所の友人とランチに出かける事もできれば
今日はナンニモしない日と決めてグータラしていることだって出来る。
 
時々思う。
あの忙しい日々の充実感、達成感。
子供たちを怒鳴りつけながら台所に立っていた。
懐かしいなぁ。
あの頃に戻りたくはないけれど、懐かしく思い出す。
 
こんな気分になるのも
春の黄昏時の優しいさの賜物である。
 
 
 
 
明日も晴れるかな。