Y版山姥日記

旧山姥日記

3月26日27日の富士山・10年後

3月26日午前9時18分ごろ
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3月27日午前9時28分ごろ
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午前9時50分ごろ
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桜の花はまだまだ咲きそうもない。
裏のバアチャンの白梅の木は早満開となっている。
 
 
昨年のあの台風で被害を被った裏山の
その状態を村の役員さんが確かめてきたそうだ。
 
しかし、その状態を治す作業は来年度の役員さんたちで
いろいろと難しい問題も抱えている。
 
けれど、だけれどもだ。
10年後には裏山は雑木林になっているはずだと
太っ腹が言っていた。
 
 
ここに引っ越してきて
もう今では鬼籍に入ってしまった婆さん爺さんは
山の有り難味を語っていた。
 
この山はな、宝の山だったんだ
と、言ったのは2軒向こうのおばあちゃんで
亡くなって久しいけれど
戦前はこの山に焚き木ばかりでなく薬草も採りに行ったとか。
山にはお宝がいっぱいだったとも言っていた。
 
町に近いけれども、町に行く交通手段のない里山
人々の暮らしが過酷だったのは想像に難くない。
水も天水とか、湧き水とかで
しかもその湧き水は家のそばにある家は少なかったそうだ。
 
私はこの村に来てから車の免許を取った。
妊娠8ヶ月のときに免許証を手にした。
公共交通機関のないところはニッポン中いくらでもあるだろう。
便利なお街の人たちには理解できない生活を未だに送っている。
と、言ったってランプ生活ではないけどね。
 
戦後、国の政策で
裏山はヒノキ林に姿を変え
今ではそのヒノキ林を整備するヒトもいない。
山の上のほうはバブルのときにこの村のヒトではない人の手に渡り
荒れ放題だ。
下に住む我々にとっては重大問題で
年に一度、山の水を沢に流す作業をしている。
おかげで土砂災害がないの。
 
 
で、村の男衆は
行政に言っても埒が明かないので
自分たちで山の整備をしようということになる。
だけど、みんな若くない。
 
10年後が楽しみね
と、女衆たちは喜んだが
これから10年、山に入る事が多くなる男集の顔は浮かない。
 
そうだよね・・・
何で俺たちがやるんだと思っているよね。
 
 
仕方ないよね・・・
 
未来に続く若者に男意気を見せなくちゃね。
 
 
だけど
みんな若くない。
 
気力も体力も衰えてはいる。
大変な事になった・・・