Y版山姥日記

旧山姥日記

12月3日4日の富士山・真白き富士の嶺とお会式

12月3日午後0時53分頃
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12月4日午前6時18分頃
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午後1時47分頃
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午後4時56分頃
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3年に一度
山姥村のお寺のお会式のお当番が廻ってくる。
身延にも近いし、
傍には日蓮宗の富士山西山本門寺というお寺もあって
その西山本門寺の隠居寺になっていたのが
山姥村にある小さなお寺である。
 
今では隠居寺とはなってはいないが
ご住職は西山本門寺の中の坊のご住職が兼任されている。
 
我が家は檀家ではない。
しかも、太っ腹の実家は全くの無宗教である。
 
でも
郷に入っては郷に従えのたとえ通り
ワタシたち夫婦は山姥村に引っ越してきてからずっと
お手伝いだけはしている。
 
ワタシたち夫婦にいろいろ教えてくれた男衆女衆は
何処の家も代替わりをしている。
余所から来たニンゲン達だけが代替わりをしていない。
 
もう鬼籍に入ったオジサンオバサンたちの薫陶を受けた
太っ腹もワタシも率先して「ああだ、こうだ」とは云わないことにしている。
 
ワタシたち余所者が昔からのしきたりに口を挟むことは
山姥村の受け継がれてきた文化に横やりを入れることに他ならないからだ。
と、思っている。
 
 
文化とはなにかという問いは
ワタシにはあまりに難しくって考えるのも面倒だけれど
 
なんの変哲もない田舎の小さな小さな村にも
何百年も前からのしきたりは微かではあるが残っている。
 
しかしだ。
ワタシたちが来た30年前に比べ
お寺のそして氏神さんの行事は少しずつ簡素化され
お当番は楽ではあるが、存続は難しいだろう。
 
30軒あまりの山姥村でも
跡取りが絶えるだろうと予想のつく家は多い。
 
里山の現状は何処でもそうなのだろうが
國が滅びてしまうと思うと、ワタシは悲しくなる。
 
山を管理する家が少なくなり
しかもバブルの頃に細切れに山は買われ放置されている。
山の惨状は素人のワタシでも分るくらいだ。
 
 
 
雨後の夜明けの富士山の美しかったこと!
富士山が美しいだけに
里山の在り方を考えずには居られない。
 
 
けれども
とてもツライのは
ワタシがただの傍観者でしか居られないことだ。
ワタシは山を持っていないし
山を持っている人たちの苦しさを目の当たりにしているから
言葉だけの自然保護は叫びたくもない。
 
言葉だけを発するのは簡単なことだ。
行動を起こすには
覚悟の上にも覚悟を重ねなければならぬ。
難しい事である。
 
 
 
 
本当に今朝の富士山は美しかった・・・