Y版山姥日記

旧山姥日記

9月1日から6日までの富士山・ご無沙汰しております。

9月1日午後5時25分頃
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9月2日午前5時15分頃
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9月3日午後6時15分頃
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9月4日午後4時1分頃
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9月5日午前10時57分頃
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9月6日午後1時36分頃
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同日午後6時15分頃
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佐渡島から軽井沢の次兄のウチに到着は8月31日。
9月1日に漸く懐かしの我が家へと帰宅した。
 
我が家から軽井沢、
軽井沢から新潟港へ、そして佐渡一周。
太っ腹は運転し続けてくれて
長兄夫婦と次兄夫婦と6人で旅行をしたのだった。
 
三兄弟の母の生まれ故郷の
新潟村上市に一泊、
三面川を初めてワタシは見た。
 
63年ぶりにこの川を見るという長兄次兄の思いは如何ばかりかと思ったら
次兄は車から降りようともせず、
三兄弟の涙が見られると期待したワタシは
裏切られた。
 
 
 
三男の嫁はツライのだ。
しかも
長兄も次兄も戦前生まれで夫は戦後生まれ。
太っ腹との年の差なんと17才と15才。
 
夫太っ腹さえ逆らうことの出来ぬ兄たちに
ワタシはひたすらお仕えし続けた5泊6日であった。
 
 
この山姥日記を
長兄夫婦も次兄夫婦も見る事はないだろうから
この長い旅の顛末はそのうち書くとして
 
日本海に沈む日輪をただ一人眺められたことは
とても嬉しいことだった。
 
 
 
ただ、
旅の最後の最後に
つまり軽井沢から蓼科に抜け、娘の住む諏訪までは順調だったが
 
我が家までもうちょっとと云う所まできて
降雨量が50㎜を超えたので通行止めが2ヶ所あり
 
この旅の最初にワタシたち夫婦が
「帰りはココで通行止めだったりしてね」と笑ったのが
現実となって、少々凹んだのだ。
 
 
 
 
 
 
 
が、総じて
とても美しい日本海を見る事が出来てよい旅だった
と、思う。
 
 
 
 
 
 
今日の富士山、
夕方の県内ニュースで見えていたので
慌てて二階へ駆け上り撮ったのだけれど
ニュースでは天辺も見えてたのになぁ。