Y版山姥日記

旧山姥日記

7月23日から27日までの富士山・コクリコ坂何処の坂

7月23日午後6時3分頃
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7月24日午後4時29分頃
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7月25日午前7時48分頃
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7月26日午前8時9分頃
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同日午後6時29分頃
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7月27日午前6時56分頃
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ジブリの「コクリコ坂から」を観た。
 
横浜生まれ横浜育ちの太っ腹は
ワタシよりも細かいところに気が付いて
「あの氷川丸は塗り替える前だったなぁ」と、
感慨深げにぼそっと呟いた。
 
 
1963年昭和38年
ワタシはまだ小学生だ。
(今だって17才だけどっ)
 
映画が始まってから終わるまで
切なさ懐かしさで涙ぽろぽろ洟ずるずるで
映画終了後、トイレに駆け込み化粧を直した。
 
新橋の様子とか省線の走る姿とかばかりでなく
「あの制服はアナタの高校?」と聞くと
「校舎はY高のようだけど、あんな坂はない」とか
 
一事が万事
謎解きの時間でもあったのだけれど
 
 
あの時代への郷愁は
逝ってしまった父母や大勢の人々への
懐かしさでもある。
 
父母は、今のワタシよりもずっと若く
子育てと商売に必死だったはずだ。
若い衆のお嫁を貰いに行ったり
お手伝いや事務員のお嫁入りも世話していた。
昔の商店主は皆そうだったのだ。
 
貧しい世の中だったけれど
人と人とのつながりは濃厚だったと記憶する。
 
でも、
終戦後18年しか経っていない時代の物語で
ワタシも太っ腹も驚愕の事実だ。
 
ワタシたちは戦争を知らない子供達世代だけれど
ワタシが生まれたのは戦後10年も経っていない頃だ。
 
ふぅ~ん・・・
戦争って案外近い存在だったのね。
 
 
戦争が暗い影を落とすお話しだけど
やっぱり何処か希望が輝いている時代でもあったのね
と、改めて思う。
 
 
 
 
 
なんだか
大丈夫よと思えた。