Y版山姥日記

旧山姥日記

2月14日の富士山・麦わら帽子

2月14日午前8時53分頃
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麦わら帽子
という言葉を聞いただけで
胸の奥がキュンとなり鼻の奥に痛みが走る。
そんな事はワタシだけだろうか。
 
井上陽水の「少年時代」を思い出すが
あの歌には麦わら帽子という言葉は出てこない。
 
そうだそうだ
吉田拓郎の「夏休み」だったっけ。
 
 
でも、一番は「ぼくの帽子」
西條八十の詩で
森村誠一の「人間の証明」で有名になった
あの詩だ。
 
 
母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
 
 
あの歌と共にこの詩を思い出す。
 
それが何故
胸の奥がキュンとして鼻の奥が痛くなるのか
どうしても分からない。
 
でも、もしかしたらと思える過去はある。
 
 
小学5年だったか6年だったか
父の実家の九十九里の家から雑誌(少女漫画雑誌)を買いに歩いた。
 
従兄弟達はすぐ其処だと言っていたので
すぐ其処だと信じて一人で出掛けた。
 
田舎のすぐ其処の遠いこと遠いこと。
真夏の炎天下の砂利道で
行くも地獄帰るも地獄と言った気分で
少女のワタシは歩き続けた。
麦わら帽子を被ってはいなかったが
従兄弟達の被っていた破れ麦わら帽子が思い出される。
 
その晩からワタシは熱を出し
従兄弟達は祖父と叔父叔母とにヒドイ眼にあったのだけれど
ワタシは従兄弟達を恨んだりはしていない。
 
ジリジリと照りつける太陽の暑さと
三平草履(ゴム草履)のぺたぺたという音と
砂利道の白さと
時々吹く風と
一本道を向うに行けば海に出る安心感と
いろいろと綯い交ぜになった想いが思い出される。
 
別にどうしても読みたかった漫画雑誌ではないけれど
あの日、何故か自分で買いに行こうと思ったのも覚えている。
誰かに頼めばすぐに買ってきてくれただろうに
ワタシは自分で買いに行きたかった。
東京の家から一人だけ預けられたことへの抗議だったかもしれない。
そんなに深く考えていなかったのかもしれない。
どうしてソウしたかったかは忘却の彼方へ隠れてしまった。
 
碓氷峠九十九里では趣はまったく異なっているし
九十九里は矢鱈と開放的な雰囲気の土地だけど
何故か
ワタシの脳内ではお隣同士である。
 
懐かしい。
 
 
でも、小さいときに碓氷峠へ行ったことがないから
懐かしがるのもヘンだけど
 
 
だけど、懐かしい。
 
 
 
何故今日に限って麦わら帽子に執着するかというと
富士山の笠雲のせいだ。
 
どうしても麦わら帽子に見える。
 
ただそれだけのこと。