Y版山姥日記

旧山姥日記

10月1日・2日の富士山・氏神さんの落慶式

10月1日午後2時7分頃
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携帯で撮影(やっと出来ましたっ)
山姥村から富士宮へと続く道
 
 
10月2日午後2時48分頃
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とても古くて建っているのが不思議だった氏神さんのお社が
氏子たち(全33戸)の積み立てと篤志家の寄付で
やっと新しく建て直った。
その落慶式に参加する。
 
人生のウチで
神社の落慶を目の当たりにするなんて事
そうそうはないだろうと勇んで氏神さんに行った。
 
やっぱりスットコドッコイよねワタシ。
カメラは持って、携帯も持ってハンケチ持って
お賽銭持って行くのを忘れた。
ご近所のヒトに10円借りた。
絶対返しに行こう。
神さまが気が付かないうちに・・・
 
 
この氏神さんの事は前にも書いたけど
33戸の山姥村にとって
それはそれは大事な神聖な場所である。
 
お正月も夏祭りも秋のお祭りも当然だけど
子ども達の肝試しやラヂオ体操やクリスマス会にも
この氏神さんの境内が使われる。
 
子どもが極端に少なくなって
子供会が成り立たなくなったので
ラヂオ体操も肝試しもクリスマス会も今はしないけど
我が家の子ども達はこの氏神さんで楽しんだ。
 
肝試しなんか怖がって大泣きする子が続出だった。
氏神さんを起点に、田圃や藪の中を通り
お寺までおっかなびっくり行くと
年長の子たちがよってたかって怖がらせ
氏神さんに返ってくる頃には血の気が無くなってたっけ。
 
そうやって
大きい子が小さい子の面倒を見て
小さい子が大きくなると、また小さい子の面倒を見る。
小さな部落なので、みんな兄妹のように遊んでいた。
 
 
東京の外れの小さな商店街も同じ様だった。
50年前は。
 
 
我が家の子ども達より少し年長の子たちは
徐々に山姥村に帰ってきている。
山姥村にも小さな子ども達の歓声が少し戻ってきた。
 
氏神さんの行事やお寺さんの行事の時は
子ども達がまわりでウロチョロして
大人達がウルサイといいながらお菓子を一緒に食べたり
小さな子たちをからかう爺さん達がいたりした。
 
小さな山里は
マスメディアに取り上げられないくらい平凡な村でも
その土地独特の風習があったりして
余所者だとしても長く棲んでいる間に、その風習に染まってきたりしている。
因習と言うにはあまりにアッケラカンとしているので
それがいつ頃からある風習なのか誰も知らないらしい。
 
 
年寄りの話がかなり大袈裟で
ともすれば大法螺だったりするけれど
しかも同じ話が繰り返し聞かされたりもする。
でも、その繰り返される大法螺が可笑しくて淫靡で
ニッポン人ってやっぱりラテン系だよなとワタシは結論づけた。
世に言う「ニッポン人ラテン民族説」である。
 
 
そんな脳天気な村でよかったと思う。
余所者として入植(?)したその日から
今月で31年になる。
 
再来週は氏神さんの秋祭り。
山姥村最大のイベントだ。
 
 
 
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氏神さんの境内から見えた曼珠沙華
山姥村中、曼珠沙華の花盛りである。