Y版山姥日記

旧山姥日記

8月1日から5日までの富士山・アッチもコッチも暑い・・・

8月1日
朝、大雨。
新幹線に乗るため新富士駅へ向かう。
今日は西へと歩を進める。
慶事である。本当に喜ばしい。
我が家から2㎞も行かないところでは雨が降った形跡がなかった。
なによっ!ウチだけ雨か。雨降って地固まるが今日の合い言葉か・・・
 
8月2日
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朝の天気予報はこんな調子だったけど
山姥村は霧の中
山姥村だけ梅雨はまだ明けていないかと
思ったことを
覚えている。
 
 
8月3日午前8時43分頃
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同日午前9時31分頃・東名御殿場付近(だと思う)
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今日は東名を東へと向かう。
この日は東京銀座の画廊での友人の写真展を見に行った。
画廊から友人に夫が電話すると
市川のソバ屋で一杯やっているから来いと言う。
静岡から東京までやっと来たのに千葉に来いって言うのかと
一家で大笑いし
芳名帳には「山姥組」と記載しておいた。
今度会ったとき、覚えてなさいよ。
山姥組の姐御はコワイよぉ。
銀座の横町の地下一階の居酒屋でお昼を頂く。
焼き魚定食の旨さに暑さを忘れるかと思ったが
やっぱり東京は暑い。
そのままどこにも寄らずに夕方帰宅。
せっかく東京まで行ったのになぁ。
一日遅れで太っ腹の誕生日のケーキを食べた。
今年は
太っ腹はシュークリーム。
歌はちゃんと歌った。
来年は赤いちゃんちゃんこね、あなた。
 
 
 
8月4日午前7時42分頃
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同日午後6時頃
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8月5日午前6時32分頃
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5日朝、この日は伊豆へ。
 
温泉だったら楽しいんだけれど
山から2時間かけて行ったのに
用事は10分で終わった。
温泉に入っていく?と聞く座敷童女2号に
ワタシは暑さに負けて帰ろうと言った。
 
懐かしさと寂しさと悲しみの綯い交ぜになった気持ちを
どうしても抑えることが出来なかった。
 
だけど、
富士市のイオンに着いたときには
「アッパッパ買って帰ろう」と思いつくほど元気が出てきて
懐かしさと寂しさは消えないけれど
悲しみは昇華されたように思えた。
 
悲しみは
何処かで振り切らないと
いけないのかも知れない。
 
 
 
亡くなる何年前だったろうか
母は早春の達磨山を見ながら
「山が笑っているでしょう」と言った。
「山笑う」という季語の季節よりも少し早かったけれど
伊豆の達磨山は
確かに微笑んでいるように見えた。
 
その場所で母は一人で大きな地震にあったとき
地震の直前に達磨山からピンクの埃が立ったと言っていた。
その時、辺りの物音は消え
地震の揺れが治まったとき、鳥が啼き始め
音が戻ってきたそうだ。
 
ナントカ流星群も伊豆の家の前の道路に寝っ転がって
まだ小さかった子ども達といつまでも眺めていた。
 
 
父もたくさんの逸話を残した人だけど
母の残した逸話は大仰で
新幹線を止め、横浜の救急車で新宿の病院まで乗せていって貰ったとか
今考えてみると
オカシナ夫婦だったなぁ。
 
 
 
 
 
と、言う訳で
東京も名古屋も伊豆もすっごく暑くて
この暑さは参るわね。
 
皆さまもご自愛ください。