Y版山姥日記

旧山姥日記

雪の富士山 そして 思い出は遙か・・・

10月13日

午前9時58分
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10月14日

午後5時29分
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10月15日


<(_ _)>


10月16日

午前5時48分
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10月17日


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10月18日

午前8時21分
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午後4時58分
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       夜中に一通のメールが来たのはもう随分と前のことのように思えるが

       本当はそんなに経っていないことだけは確かだ。

       父のすぐ下の弟である叔父が亡くなったという内容だった。

       葬儀に出るか否か 悩む。遠いのだしいいかなぁと思う。

       が、やっぱり最期の姿に会いに行く決心をした。


       新幹線で東京まで行き 房総線の特急に乗る。
       東京駅でどうしたことか京葉線のホームに行っちゃって
       慌てて房総線のホームまでオバサンは走った。
       京葉線のホームから房総線のホームまではホントに遠い。ホントに遠いの・・・


       特急を降りると

       昔の思い出の中の成東駅とあまり変わらぬ事に驚いたが

       葬儀場までの道は まったく知らぬ道のように思える。

       葬儀が始まる少し前に着いたので そのまま着席する。

       遺族席を見ると 懐かしい従兄弟達の顔。

       もう、40年も会っていないのに

       同い年の従兄弟の顔はすぐ分かった。昔のままだもの。

       遺影のおじちゃんは

       みなの方を向いて笑っている。

       海の男の顔をして笑っている。


       この叔父の背中に乗って九十九里の海に出て

       深いところで叔父は背中のワタシを振り落とした。

       ワタシは必死で波打ち際まで行き 泳ぎを覚えた。

       50年も前のこと。


       夏休みになるとワタシはこの叔父の家に預けられていた。

       一つか二つ上の従姉は蛙の皮を生きたまま剥いて

       ワタシに投げてよこしたし

       同い年の従兄弟はカブトムシをワタシのスカートにくっつけて笑っていた。

       一番下の従妹はいつも体操服を着ていたけど 何故だったのだろう。


       葬儀の後、いろんな思い出話に花が咲く。

       あの家の人たちはいつも明るくカラッとしていた。

       何十年経っても 葬儀でも

       あの家の人たちの気風は乱れることはない。


       父と仲のよかった弟があちらの世界に行って

       もしかしたら

       父は喜んでいるかもしれないと 不謹慎なことを思った。



       また会おうね。

       そう挨拶して従兄弟達に別れを告げたものの

       今度会うときはいつだろう。

       このところ 親戚に会うときはいつも黒服で

       「みんなこの洋服しか持ってないのよね」

       ワタシがそう言うと みなが同意する。


       子どもの頃のように行き来がなくなり

       それぞれの生活が忙しくなって

       従兄弟達という関係は薄く薄くなっていく。

       
       そうして

       久しぶりに会うときは誰かの葬儀や法事だけとなる。


       仕方がないね。



       でも、会えば懐かしい。






       加藤和彦さんが亡くなったニュースを聞く。

       ああ・・・

       ワタシが中三の時にデビューしたはずだ。

       あのレコードは結婚したときも引っ越したときも持っていたけど

       今は何処にあるかなと思う。

       ウチの中の何処かにあるはずだけどなぁ。




       今日の富士山

       雪の富士山

       青い空に白い雪を被り 本当に美しい。

       逝ってしまった人たちが

       その富士山の上の そのまた上にいるんだなと思いながら眺めた。