Y版山姥日記

旧山姥日記

初めての黒い富士山

9月2日

午後5時21分
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       30年前の今日

       ワタシは終の棲家になるであろう山姥村に

       その第一歩の印を残した

       

       その一ヶ月少し前

       第一子を出産した4日後に

       まだお腹の凹んでいた太っ腹はワタシに言った

       「工房を見に行く。たぶん決まりだ」



       工房を決めるに当たって ワタシはいくつかの条件を出していた

       ① 人家が少なくとも一軒は目視できる範囲にあること

       ② 電気瓦斯水道がちゃんとあるところ

       ③ 1時間に1本でいいからバスが通っていること

       たったこれだけのことだけれど

       重要なことばかりだ(当時ワタシは自動車の免許は取得していなかった)


       太っ腹は確かにワタシの提示した条件を守ったと言えるかもしれない

       ①に関して・・・すぐ目の前に隣のバアチャンちはある

       ②に関して・・・ちゃんと電気も瓦斯も水道も通っていた

       ③に関して・・・確かに朝と夕方は1時間に1本バスは来ていたが

               1日に4本だけだったし、今はもう廃線になっている



       とにかく産後間もないワタシを伴い 太っ腹は山姥村へと突っ走った

       東名富士インターから市街地を抜け

       これ以上先には人家はないだろうと思える狭い道を走る

       途中、東側に独立峰が見え隠れしていた

       しかし 太っ腹にもその山の名は分からない様子だった

       人家がないかと思える道の先には雑貨屋もお医者さんもある集落があり

       まだかと問うワタシに太っ腹は「もうすぐだ」と答え続ける

       絶対にこの先に人家はないと言い切るワタシの言葉を振り切り

       太っ腹は答えもしなくなり 車は恐ろしい山道に入る



       と・・・

       人家があった

       村があった

       右手に真っ黒な独立峰

       田圃には風にそよぐ稲

       青い空 白い雲


       やっと着いたのだ

       細長い土地の端っこに本当にささやかな工房兼住居があり

       もやしのような桜の木が3本と柿の木が一本と木槿が何本か植えられていた

       
       
       これから遭遇する苦難を想像だにしなかった若い夫婦は

       隣家のオバサンに問うた「あの山なんですか?」

       西瓜を振る舞いながら怪訝な顔でオバサンは「富士山」と答えた

       そのオバサンこそ隣のバアチャンだ(この事は随分記事にしたなぁ)


       この日から30年、

       あの時 初めて見た黒い富士山の姿は忘れられない



       生まれて間もない娘を抱え

       土嚢を退けながら引っ越すその日の1ヶ月と少し前のことだった




       30年後の今日は富士山は休憩中