永訣 1月9日の富士山
1月9日午前11時5分
その夜の東名高速上り線はトラックばかり走っていた。
急ぐ夫に 安全運転でいいからと懇願した。
8km手前で携帯が鳴った。
甥からだった。
深夜の見知らぬ病院は静かだ。
初めて来る者にも守衛さんは親切にその場所を教えてくれた。
急ぐ夫に 安全運転でいいからと懇願した。
8km手前で携帯が鳴った。
甥からだった。
深夜の見知らぬ病院は静かだ。
初めて来る者にも守衛さんは親切にその場所を教えてくれた。
泣きながら考えた。
父の額に触れたのは生れて初めてだ。
温もりが残っているその額に
表情が戻ることは永遠にない。
更に考え続けた。
元旦に私の手を握ったその手の強さ 別れ際の言葉。
もう 私の手を握ってくれることはなく
子供が心配だから早く帰れと言ってくれる事もない。
父の額に触れたのは生れて初めてだ。
温もりが残っているその額に
表情が戻ることは永遠にない。
更に考え続けた。
元旦に私の手を握ったその手の強さ 別れ際の言葉。
もう 私の手を握ってくれることはなく
子供が心配だから早く帰れと言ってくれる事もない。
私は親不孝者だ。
両親ともに最期の時を一緒にいてあげることが出来なかった。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。
慈しみ育ててくれた両親だった。
だから 猶の事
その時に居たかったと心底思う。
ごめんね 父さん。
両親ともに最期の時を一緒にいてあげることが出来なかった。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。
慈しみ育ててくれた両親だった。
だから 猶の事
その時に居たかったと心底思う。
ごめんね 父さん。
兄と私は
とうとう みなしごになった。
とうとう みなしごになった。