8年
6月5日午前7時47分
夕方
兄嫁に電話をする。
兄嫁に電話をする。
「命日は今日だよね」
母が亡くなったのは
平成11年だと兄嫁が教えてくれた。
平成11年だと兄嫁が教えてくれた。
昔のことをよく記憶している私だが
あの頃の事の記憶は曖昧だ。
あの頃の事の記憶は曖昧だ。
あの日の一週間前
「これから緩やかな下り坂です」
主治医が私に言った。
「これから緩やかな下り坂です」
主治医が私に言った。
ゆるやか
この言葉に安心していたのだが
私にとっての「ゆるやか」と
主治医にとっての「ゆるやか」とは
全く違う時間の流れを意味していたようだ。
この言葉に安心していたのだが
私にとっての「ゆるやか」と
主治医にとっての「ゆるやか」とは
全く違う時間の流れを意味していたようだ。
その事と
病院の受付で買い物をしたこと、
母の亡骸を東京に家につれて帰るその時
医師と看護婦さんが
深く首をたれ、合掌してくださった事、
その鮮明な映像が脳裏に焼きついている。
病院の受付で買い物をしたこと、
母の亡骸を東京に家につれて帰るその時
医師と看護婦さんが
深く首をたれ、合掌してくださった事、
その鮮明な映像が脳裏に焼きついている。
「お線香あげておいてね。」そう頼むと
「ちゃんとあげておくからね」と、答えが返ってきた。
「ちゃんとあげておくからね」と、答えが返ってきた。
富士山が大好きだった母
お絵描きが大好きだった母
母さん
呼べば、答えが返ってくる様な気がする。
お絵描きが大好きだった母
母さん
呼べば、答えが返ってくる様な気がする。
どんなに年月が経ってしまっても
私がどんなに年を取ってしまっても
母は、若いときのままの母の姿でいる。
そんな気がする。
私がどんなに年を取ってしまっても
母は、若いときのままの母の姿でいる。
そんな気がする。
あれから8年。
もうそんなに母に会っていないことが不思議な気がする。
もうそんなに母に会っていないことが不思議な気がする。