Y版山姥日記

旧山姥日記

10月8日から16日の富士山・独りぼっち

10月8日午後5時9分頃
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10月9日午後5時45分頃
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10月10日午後2時38分頃
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10月11日午前8時11分頃
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10月12日午後0時55分頃
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10月13日午前7時59分頃
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10月15日午後1時57分頃(東名高速御殿場付近)
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10月16日午前7時52分頃
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10月15日朝

調布のビジネスホテルで目覚めた

ニュースで富士山に雪が降ったことを知った



この日は兄の葬儀

ワタシは末っ子で

兄が一人とワタシが生まれる前に亡くなった姉が一人



父も母も、もういない


兄は黄泉路へと旅立ってしまったので

生家で残っているのは一人



いやいや、兄の子供たちもいるし

ワタシに家族もいる



けれども


一人取り残されたという感情は拭い切れない



不思議な感情だ






このブログを始める直前に

初代柴犬の「ワン」が逝って


その後

姑と父が逝った


にゃんこのモモちゃんも、もういない




13年という月日は


とんでもなく長いと思う


そしてまた


とても短くも感じる




今年は

息子に長男が誕生し、めでたい年かと思った





大切な友人が逝ってしまい





同列にはできないけれど


飼っていた金魚たちが次々と逝って


極小マルチーズの豆蔵も逝った



寂しいとか悲しいという感情より


脱力感と虚無感が強い




生きとし生けるもの全て

生まれた瞬間から死に向かって生きるということは分かっていても



分かってはいるんだけど




なんだかなぁ・・・





調布のビジネスホテルに荷物を預けてから

オトーちゃんは神代植物公園に連れて行ってくれた


夜は息子一家と外食した


孫の松ちゃんを


ジイジとバアバが代わる代わる抱き

楽しい時間を過ごしたが



翌朝早く喪服を着る時


なぜワタシはこの服を着るんだろうと


あらためて思った



棺の中の兄は


本人にとってはいい人生だったろうけど

周りを振り回してばかりの面影はなく



それでも


ワタシの兄だった




なんだかなぁ