Y版山姥日記

旧山姥日記

1月の読書記録

1月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1683


狐と韃 知らぬ火文庫狐と韃 知らぬ火文庫感想
朱川湊人クンどうしちゃったの?と、思いつつ読了。小学生のころ、図書館に入り浸っていた。ワタシの卒業した小学校はある程度大きな図書館があって(50年あまりの後、その図書館は何方かの寄贈と知る)発表会などもするけれど、入り口を除く壁は全部書架になっていた。その入って右手が日本文学の古典で、ワタシはその書架から「鉢かつぎ姫」などを貪るに読んだ。このご本を読んでいる間、その図書館の明るさを幾度も思い出していた。「舎利菩薩」が些か道徳的で「ふぅ~ん」とも思ったが、確かに確かにと思っている。
読了日:01月31日 著者:朱川 湊人


([ほ]4-3)活版印刷三日月堂 庭のアルバム (ポプラ文庫)([ほ]4-3)活版印刷三日月堂 庭のアルバム (ポプラ文庫)感想
ものを作るということは、なんであれ情熱が必要ということ。その情熱は作る行為ではなく、そのものに対して真摯に向き合うということ。「庭のアルバム」ブログのお友達で万葉植物を庭で育てている方がいる。時々、和歌とともに植物を解説してくださる。ワタシはお祖母さんのほうに年が近いけれど、楓の心の内もわかるような気がする。ワタシだって女子高校生だったのだから。弓子の喪失感もわかるような気がする。沢山の人を見送ってきたから。喪失感はやがてヒトに対してのやさしさに代わるんだなぁ、きっと。
読了日:01月20日 著者:ほしおさなえ


出会いなおし出会いなおし感想
「カブとセロリの塩昆布サラダ」に、主人公が作ったカブ料理の数々が出てくる。目を皿のようにして(!)読むも、ワタシの好きなカブと柿のサラダがないのでがっかり。秋の夕餉のお楽しみなんだけどなぁ(どうでもいいことだけど)「テールライト」はよくわからなかった。読み直す気力もないしなぁ。いいか・・・。「ママ」はワタシも会っているのだろうか。会いに来てほしいようなそうでもないような気がする。
読了日:01月19日 著者:森 絵都


すかたん (講談社文庫)すかたん (講談社文庫)感想
少し気骨の折れるご本が続いたので、楽しく読了。まかてさんの気風のよい文章は読んでいて心地がいい。登場人物が目に見えるような気がした。お家さんは初めから見抜いていたのかなぁ、千里さんの根性。どうなのかなぁ。まぁいいか。終わり良ければ総て良し(シェークスピアみたいね。あっ、似てるかも)
読了日:01月19日 著者:朝井 まかて


影裏 第157回芥川賞受賞影裏 第157回芥川賞受賞感想
読後「影裏」という語を電子辞書で調べる。なるほど・・・。つかみどころがなくて、何を言いたいのかもわからぬままに終わったけれど、徐々に沁み込んでくる不思議な作品だった。3月11日の思い出はニッポン中の人の心のそれぞれにあるだろう。「寄り添う」という言葉が薄っぺらに思えて仕方がなかった想いをこのご本は吹っ飛ばしてくれたかもしれない。生きること傲慢もウソも真実もすべて肯定したい気分だ。
読了日:01月13日 著者:沼田 真佑


私たちの星で私たちの星で感想
往復書簡というものを毛嫌いしていた。どうせ、読まれることを前提の欺瞞だわって。70年安保のころ、私は高校生で新宿のフォークゲリラや渋谷の集会に参加していたつもりでいたけれど、あれは見物以外の何物でもなかったと思い知ったのは、この本に梨木果歩さんが書いている先ごろの国会前の集会に彼女自身がいたこと、その情景を読んだ時だった。ワタシはなんて年寄りになってしまったんだろう。近頃の若者はなどと思っていたのに。豆腐の角に頭をぶつけて「失礼いたしました」と謝りたい。と、読後、考え込んでしまった。
読了日:01月04日 著者:梨木 香歩,師岡カリーマ・エルサムニー


ふしぎ駄菓子屋 銭天堂2ふしぎ駄菓子屋 銭天堂2感想
2018年初の読了がこのご本とは、なんといってよいのやら。忸怩たる思いも無きにしも非ず。もちっとノーブルな或いはもちっと大人なご本がよかったかなぁ。まぁ、今年はそういう年なのだろう。最後の章はほんわかふんわかと一人ではないことの幸せが叶ってよかったわ。
読了日:01月01日 著者:廣嶋 玲子






特筆すべきは「私たちの星で」だ。
古来、老人は「近頃の若いもんは」と嘆いていたと
何かの本で読んだことがある。
今に始まったことではないけれど、そうなのだけれども
自分がそう思うようになってしまったことに嘆き・・・。

しかし

最近の若者は優しい。
すぐに席を譲ってくれる。ありがたく座らせてもらう。

スーパーではレジのねーちゃんが
荷物をマイバックに入れるところまで運んでくれる。

以前、道に迷ったときは
何人もの人が親切に教えてくて
最後に会ったお嬢ちゃんを3人連れた若いママさんは
ワタシを目的地まで案内してくれた。

ご親切にありがとう

その言葉は日常的に使い慣れていたのに


ラップでメッセージをわめく若者には不快感を覚えた。

聴かなければならないはずの言の葉を
ワタシは好きではない音楽に惑わされていたのだ。



反省している。