7月31日の富士山・嗅覚障害とともに7月と別れよう
7月31日午前5時19分頃
午後6時13分頃
梅雨明け以降
天気の良い日が少なくて
夜になると雨が降り
朝は霧の中にいるといった日が続く
嬉しいことも
悲しいことも
一緒くたにやってきて
本当に長く感じられた一か月だった
嬉しいことはさておいて
数十年前に
夫とワタシを救ってくれたお師匠が亡くなられ
夫は一番弟子なんだけど
二番弟子から
「今お通夜が終わったところで」と電話が来たのは
夫の留守にしている夜だった
翌朝
瀬戸へ急ぐ
具合が悪いことは弟弟子から聞いていたのに
夫は瀬戸に行きたがらなかった
気持ちはよくわかる
夫が長い長い電話をしたのが最後だった
先生がいなかったら
先生が
「うちに来やぁ」といってくれなかったら
今の生活はない
夫は陶芸家として生きてこられなかったろう
人の一生って
いろんな選択肢があって
自分が選択するのかと思っていたけど
20代でそうではないことを
ワタシたち夫婦は思い知った
可能性を信じるとか
明るい未来とか
実体のないうたい文句に踊らされるのは
愚かなことだけど
若いと信じてしまうのだ
若いと愚かは
同義語のようにも思える
ただ
年金を受け取るようなお年頃になったから
そう思えることは承知している
明るい未来を信じることはよいことだ
で、
その明るい未来をこの子たちに
あげたいと
5歳と5ヵ月の二人の孫の顔を見て思う
下の孫のお食い初めをしたのは
今月初めの事だった
ずいぶん遠い過去のことに思える
ワタシの嗅覚に
匂いはまだ完全には戻ってこないけど
どこからか花の香りが漂ってくる
たぶん百合だ
7月に
また来年ねと別れを告げよう