Y版山姥日記

旧山姥日記

12月11日から15日の富士山・登呂遺跡のトロベー

12月11日午後4時35分頃
イメージ 1

イメージ 2


12月12日午後1時47分頃
イメージ 3

イメージ 4


12月13日午後4時54分頃
イメージ 5

イメージ 6


12月14日午後4時35分頃
イメージ 7

イメージ 8


12月15日
午前7時32分頃
イメージ 9
同日午前7時54分頃
イメージ 10

イメージ 11






流石に師走で大忙し


と、言っても
孫のクリスマス音楽発表会やら
登呂遺跡にちょっと行ってきたやらで

ぜんぜん暮れの用事で忙しくしていたわけではない。



しかしまぁ、
幼稚園の発表会の大仰なこと。

ジジババは
してはならぬといわれたことを
平気でやってのけ、許してね。

でも、良い写真が撮れました。





で、
十数年ぶりに登呂遺跡に行ってきた。
小雨そぼ降る中

オバサンは火熾し体験で
二の腕の振袖部分がクッタクタで
どうなることかと思ったら、翌日は平気で


でも、
古代の人たちは毎日こうしていたのねと思うと
電気ガス水道完備の現代の子で良かったと

心底思った。



登呂遺跡の博物館でも
遺跡に復元してある竪穴式住居も高床式のも
全て四角い柱で釿(チョウナ)で削ってあった。


学芸員に尋ねると
待ってましたとばかりに丁寧に教えてくれた。




つまり・・・

えーっと・・・


弥生時代の遺跡を発掘していて

平成に入っての発掘で四角い柱と見られる遺物が発見され
ニッポン中の遺跡をも鑑み


平成になってから全て四角い柱に立て直したとの事。



へぇ、へぇ、そうだったんだ。


と、至極感動し納得。


イメージ 12

滅多に出現しないというトロベー。
(日曜にはいつも出てくるとの噂が




その後、隣接している芹沢銈介美術館へ行き
帰りがけにコラボしている静岡市美術館へも行って
芹沢銈介の一日になってしまった。


その昔
母のしつらえた夏座敷には
芹沢銈介ののれんや団扇が用意されていたような記憶がある。


蔵書票やマッチ箱まで染めていたんだと
とても感心し、

ずいぶんと多彩な仕事と思った。







「もう幾つ寝ると」の日々だ。












やれやれ・・・