Y版山姥日記

旧山姥日記

1月26日の富士山・神さまたち

1月26日午前8時8分頃
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長く生きていれば
沢山の仰天する事柄に出会うことになる。
 
 
神様たちの戦いは
神様が戦っているのではない。
 
 
同じ神様を信じるものたちの戦い
 
 
って、ヘンだよね。
 
 
 
 
 
ニッポンには八百万の神様が坐して
 
見捨てる神あれば拾う神あり
と言う格言もあるほど
 
どなたかがきっと助けてくださるはずと信じている。
 
 
仏様と違って
神様はおっかないから
粗末にしてはいけないといわれてきた。
 
いやいや、仏様だって粗末にはできない。
 
 
 
 
富士山を毎日眺めていると
 
じゃなくて
 
拝していると
 
 
 
合わせた掌が熱くなることがある。
 
そんな時は、
神様がきっと聞き届けてくださると
思う。
 
 
 
願いを聞き届けていただくには
一生懸命に生きていなくてはならないとも思う。
 
 
しかしだ。
 
 
このノンベンダラリとした生活を
一生懸命といえるだろうか。
 
 
 
心を入れ替えて、頑張ってみるか。
 
 
 
頑張れないなぁ・・・
 
 
 
 
 
 
 
春間近の
モクモクと白い大きな雲を見ると
 
その雲の上で
沢山の人が手を振ってくれているような錯覚に陥ることがある。
 
 
 
みな
逝ってしまった人たちだけど
 
微笑んで手を振っているように見える気がする。
 
 
 
 
富士山の天辺は
今は無音で氷と強風の世界だろうけど
 
やっぱりそこにも
微笑んでいてくださる神様はいらっしゃると
 
思いたい。