3月9日の富士山・サンシュユ咲いた
3月9日午後4時頃
ブログの古いお友達のひろさんのところで
サンシュユの花が咲いていることを知り
慌てて、道向こうの別荘にある木を見に行った。
咲いている花は少なかったけど
咲いていた。
肌寒い春の夕暮れ前
山の村の生活道路には誰も居らず
車も走っては来ない。
富士山は殆ど雲の中で
空は鈍く曇っている。
梅は咲いたけど
なぜだかあまり美しく見えず
野の花もまだ咲き誇るまでにはならない。
昨日から
大震災の報道が多くて
とても情けないことに
あの大津波の映像を直視できないでいる。
そうして明日の未明は東京大空襲から69年。
母が語った東京大空襲は、ワタシの疑似体験となった。
ヒトは多くのことを忘れていくが
忘れてはいけないことは忘れずにいるはずで
母が繰り返し語った空襲の
熱さ酷さ惨さは
戦後に生まれたワタシの脳裏に
母の体験が刷り込まれている。
繰り返し繰り返し語ること。
それが忘れないことの唯一の方法で
母は普通のお嬢さんからおかみさんになった人だけど
子や孫に語りつくして、東京大空襲を残して逝った。
まだまだ多くの忘れてはいけないことは
沢山の人が語り継いでいってくれると思う。
記憶が薄れてしまうことはあるだろうけど
人の心を押しつぶしてしまうような出来事を
忘れ去ることは決してない。
いつもの窓辺の机の前に座り
外を見ると
ふきのとうが蕗の花に変わっていた。
部屋に目を移すと
孫が帰った平和な居間で
モモと豆蔵が寛いでいた。