Y版山姥日記

旧山姥日記

12月22日23日の富士山・額に入った写真

12月22日午後2時29分頃
イメージ 1
 
イメージ 2
12月23日午前11時29分頃
イメージ 3
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
何年か前、
無人になった夫・太っ腹の実家を
太っ腹と長兄と姉と我が家の娘息子で片づけをしたとき
 
沢山のガラクタや無用の物の中に混じって
舅がコラージュしただろう我が家の写真が額に入っていた
その額を太っ腹が持ち帰ってきた。
 
今までも鴨居に引っ掛けて飾ってはあったが
そんなに目立つところでもなく目に入ることは稀だった。
 
 
ところが
我が家にも孫が生まれ
携帯の待ちうけは孫の笑顔だし
孫の写真がそこらじゅうにある状態の居間で
 
今朝
夫とともにその額を眺めた。
 
 
「息子に孫が似ているね」の会話から
(孫は娘の長男で、息子とは叔父甥の関係)
 
 
 
舅姑が居間の鴨居に子供たちそれぞれの家族の写真を
一軒ずつの額にして飾ってあったのを思い出し
 
その額を
舅姑がどんな思いで眺めていたか・・・
を、太っ腹とワタシはしみじみと話した。
 
舅は明治45年1月生まれの
謹厳実直な人で、怖かったけれど
優しい一面も持っていた。
 
戦死した戦友を思い
8月15日に息を引き取った。
 
その季節には
自分の机の上に洋梨を一個、熟れるのを待って置かれていたし
 
有隣堂のカバーのかかった本をいつも読んでいた。
 
 
あまり話はしなかったが
生い立ちは息子より末の嫁であるワタシが聞いている。
それを末息子の太っ腹に教えた。
 
逝ってしまう時も
その壮絶さとともにニンゲンの威厳を見せてくれて
最期まで立派な人だった。
 
 
 
ニンゲンって(ワタシはだ)
その立場にならなければ理解できないことが多すぎる。
 
息子にお嫁さんが来て初めて
姑の気持ちが理解できたように思う。
 
孫が生まれ
こんなに可愛いものなのかと驚いたりもした。
 
 
「自分の子供が生まれたときは頑張らねばと思った」
「だけど、孫産まれると責任は終わったと思うんだよね」
は、太っ腹の言。
 
 
どんな気持ちでお父さんはこの写真を眺めていたんだろうね。
と、ワタシが言うと
太っ腹は「そうだねぇ」と云いながら
写真を見つめていた。
 
40年前、
初めて会った太っ腹のお父さんの風貌と
今現在の太っ腹の風貌は
よく似ている。
 
 
 
イメージ 5