Y版山姥日記

旧山姥日記

10月20日21日22日23日の富士山・お日待ち

10月20日
午前6時58分頃
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午後4時45分頃
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10月21日午前11時14分頃
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10月22日午前10時34分頃
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 同じ頃の
少し富士山より南側の空
 
おうい雲よ
 
と、小声で言ってみた。
 
 
10月23日午前10時52分頃
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20日土曜日山姥村の氏神さんのお日待ち。
 
かつて、お日待ちの前夜には「お篭り」というのがあって
前夜祭なのだけど
当番の数軒の男衆女衆は日付が変わる頃まで
氏神さんのお堂の中で酒宴の用意をし
三々五々集まってくる村人たちの接待をした。
 
大体がジジィらが集まってきて大酒を呑んで
シモのハナシで盛り上がり帰って行く。
 
当番の家からは爺婆が来るのが普通だけれど
我が家には爺婆がいないので太っ腹とワタシが出ていた。
 
若いオカアチャンが当番なので
爺らの張り切りようは並大抵ではなく・・・
 
懐かしいことだけど
あの頃お篭りに来ていた爺婆は
みな、彼岸の住人になってしまっている。
 
お篭りはなくなってしまって久しいが
彼岸に逝ってしまった人たちには感謝している。
余所者のワタシたち夫婦を
村人として仲間に入れてくれた人々だから。
 
それでも小さな小さな村のお日待ちは続き
秋のお祭りも続いていて
 
子供の声が殆どしなかった10数年が終わり
小さな子供の笑い声泣き声叫び声が
小さな境内に響き
 
村人はみな一様に
「子供の声がするっていいなぁ」と感動に浸っていた。
 
来年からは
同じ地区の酒蔵の樽を貰ってきて
樽のお神輿を太っ腹がつくることになるだろう。
 
一度はなくしてしまった土俵も作って
子供相撲大会が再開すると思う。
 
この村の土俵は女の子もオバチャンもお婆ちゃんも
ちゃんと上がる事が出来て
最後の相撲大会は男女のしり相撲だったっけ。
誰が優勝したのかも忘れたが
ワタシは早々に負けたことだけは覚えている。
しり相撲の勝敗は体重の差やお尻の大きさで決まるものではないと
その時悟った。
今度することがあったら、頭を使って戦略を立てなければならぬな。
 
 
 
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お日待ちについては
こちらを参照にしてください。