Y版山姥日記

旧山姥日記

もしもし下北沢

 
 
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  •     もしもし下北沢
  •                  よしもとばなな
  •                    2010年9月 毎日新聞社
 
 
 
 
 
 
題名がとても気になって図書館で借りたご本。
 
下北沢はワタシが育った所からわずか徒歩15分のところ。
しかも、冒頭に出てくるふじ子・ヘミングさんのお家はとても懐かしい場所だ。
けれど、ふじ子・ヘミングさんとはワタシはまったく面識もかかわりもない。
存じ上げているのはふじ子・ヘミングさんのお母さまの方だ。
 
当時(今から30年以上も前の事)
ふじ子・ヘミングさんのお母さまは一人でそこに住んでいらっしゃった。
一階に住み、2階の稽古場を貸していた。
 
その稽古場に週に何回か通っていたのが、
「演劇センター付属青山杉作記念俳優養成所」とやたらに名前が長い
俳優を養成する小さな養成所だった。
嗚呼、懐かしの我が青春時代よ・・・ちょっと切ない。
その養成所はもう疾うに閉校になっていて、友人たちも散り散りになっている。
 
ある日、父の実家の九十九里から殻付ピーナツが届き
それを養成所のみんなと食べようと思っていったことがある。
玄関を開け「おはようございます」と言うとふじ子・ヘミングさんのお母さまは
白い部屋のドアを開けて顔を出す。
非常に難しい人で怖かったけど、何故かワタシは平気で声を掛けていた。
「ピーナツ召し上がりますか?」とワタシが問うと
「血圧に悪いからいらない。でもありがとう」と仰りながら
ワタシをまじまじと見つめ「娘によく似ている」とボソッと呟いていた。
 
その頃「ふじ子・ヘミング」なんてまったく知らないワタシは「??」という感じ。
その後、ふじ子・ヘミングさんがとてもとても有名になったとき
ご自宅をテレビに公開されて、そこが下北のあの家だと気づいたときは
驚天動地・青天の霹靂以外の言葉が見つからないほど驚いた。
えっ・・・(ふじ子・ヘミングさんに似てるの?ワタシ・・・絶句)
 
 
前置きが長くなったけど
よしもとばななさんのご本をはじめて読んだ(と、思う)
夫に心中されてしまった母とその娘の物語で、娘が最重要人物だ。
娘のよっちゃんのモノローグである。
お父さんが心中したり、仮住まいに選んだ部屋にお母さんが転がり込んできたり
いろいろな出会いと別れのお話で、下北沢自体が主人公かもしれないなと、思った。
 
ワタシはあの懐かしい昭和30年代から40年代の下北沢の匂いを探そうと
必死で読んだ。
が、その頃の下北沢はもうどこにも描かれていない。
当たり前田のクラッカーよね。
そんな昔の事、作者は知る由もないのだから・・・
 
ご本を読んでいたり、映画を見ていたりしても
そのご本や映画とはまったく違う映像や文章が頭の中をぐるぐる廻り
その映画や本を思い出すとき、その内容とは別のその時代の自分を思い出す。
そんなご本や映画はいくつかあって
この「もしもし下北沢」もそのひとつになった。
 
千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「三丁目の夕陽」などは代表格で
思い出すだけで切ない。
 
淡島通りのバス停や酒屋の店先が脳裏を過ぎる。
逝ってしまった人たちが活き活きと生活し、ワタシはまだ幼く
その淡島の商店街の音や匂いも思い出すことができる。
まだあった髪結いさんで七歳のお祝いのとき
シャーリー・テンプルみたいにパーマを当て、母が喜んでいた事も懐かしい。
このご本を読んでの感想はあまりなくて
ただただ、淡島通り、渋谷からバスで若林までの道程
富士中学校やその隣の団地、駒場の東大に続く小道の入り口の大学芋屋さん。
我が家から下北沢に行くまでの道中、特に八幡さまのお祭りや
その隣のお寺さんの閻魔堂(森巌寺)を覗き込んだことや、
下北沢に住んでいた友達の顔、みんな幼いときの顔だけど
思い出し始めると後から後から怒涛のように脳の奥底から染み出してくる。
 
10数年前、兄が池之上小学校の横を車で走ってくれた事があった。
学校の横に「きんちょう」という文具やおもちゃを売っていたお店があって
そこのおじさんは店先にいつでも座っていて
池之上小学校の全生徒の名前を覚えていたんじゃないだろうか。
懐かしさに胸が苦しいほどになってきた。
そんな事を思い出させてくれたこの「もしもし下北沢」とよしもとばななさんに
最上級のありがとう❤と申し上げる。
 
 
 
この6年間の「山姥日記」の中にたくさん書いた思い出話。
その思い出を10数歳年下で同じ大学の後輩が(学科は違うし、かかわりもまったくない)
美しい町に書き上げてくれた。
 
下北沢。
 
 
ふるさとに帰りたいと駄々をこねた。
もう一度育ったところに棲みたいのだ、どうしても。
太っ腹は駄々をこねる還暦前の妻の肩を優しく撫でて
「誰もいないし、もうなにもないだろ」と言う。
横浜に帰りたい太っ腹も同じなのだ。
 
二人とも孤児(みなしご)になっちゃってるもんね。
 
 
かわりに、ワタシたちの子供にとっては
ここ山姥村が帰りたくなるふるさとなのだろう。
いつでも帰って来ていいんだよ。
父さんがベーコン焼いて待ってるよ。
母さんはお芋の煮っ転がしをつくろうかしらね。