Y版山姥日記

旧山姥日記

望郷

つむじ風食堂の夜」を読んだ。、
映画になったことなど知らなかった。
作者の名前も年齢すら知らなかったのだから致し方がない事と思おう。

ある日、県庁所在地の大きな本屋でこの本に出会う。
書名の魅力に抗うことなど出来ない。
一気に読んでしまってから、勿体ないことをしたと後悔した。
ゆっくり読むべきであったのだ。
読み進めるウチに不思議な感覚に陥る。
 
ワタシが育った東京の片隅の商店街が思い出されて仕方がなかった。
次に読んだ「空ばかり見ていた」でも八幡さまの境内を思い出す。
嗚呼そうだったのか。
作者の年齢はワタシより九つも若く、商店街ですれ違ったこともなかったろう。
けれども、町の匂いや住人の行き交う姿は間違いなくワタシの故郷だ。
故郷は遠く、懐かしい。
帰りたい。
でも、帰りたいのは今現在の場所ではなく
ワタシが幼友達と隊列を組んで横町を行進していたあの故郷だ。
板塀の下から覗くと、年長のあの子が縁側で寝転んでいたあの故郷。
商店街のオトコシオンナシ(男衆女衆)の声高な会話の端々に感じる季節。
大通りから一本裏の歯医者の角を曲がると
ズックで砂利を踏む音が今にも聞こえてきそうで涙が出てしまう。
そのもう一本上の道には元総理大臣とか二枚目の映画俳優が住んでいたが
商店街の子等にとっては無縁の通りだった。
八幡さまに行くのだって、その道を通っても行けるのに決して使わず
いつも裏通りを通っていた。
 
その八幡さまが本の中で甦ることの不思議さ嬉しさ哀しさ。
 
 
あら この町は、次に移り住んだあの町ではないだろうか。
「それからはスープのとこばかり考えて暮した」を読んで思った。
その町は、父と母が大喧嘩し一時祖父の家に母と兄とワタシとで暮した事がある。
その時、ワタシはまだ幼稚園児で可愛かったと記憶する。
後に一家で引っ越して、ワタシはその町から嫁入りした。
 
もしかして
私が思っている町と作者が作り出した町は違うかも知れない。
たぶん別物だろうけれど、懐かしく
逝ってしまった父や母の声が聞こえてくるようだ。
音信不通になってしまった幼友達が笑っているようにも思える。
 
今は無縁になってしまった土地ではあるけれど
ご本の中で逢えるなら、このご本を大切に大切にしよう。
 
で、今は「百鼠」を読んでいる。
今度はどの町が出現するのか楽しみでもあるし
チョッピリ怖い。
 
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      吉田篤弘
ちくま文庫・文春文庫・中公文庫