Y版山姥日記

旧山姥日記

LOVE LETTER 第三章

生きとし生けるもの全ては
生まれた瞬間から死への道を歩むのは 自然の摂理というもの。
その道程が千年も続くものもいれば
瞬き一つ分の時しかないものもいるのは やるせない。
ましてや
そのヒトの思いとは裏腹に 息の根を止めてしまうこともあるのだ。
ワタシもどのくらいの息の根を止めてしまったことか。
悔やんでも悔やみきれない悔恨となっている。




6月のある日 続けて三通も来たLOVE LETTER
一通目は前回のLOVE LETTER 再び


続きです。


スピーシークロッカスです。
イメージ 1

今年の1月に買ってきたもので、花が咲くのを楽しみにしていたのですが、
葉っぱが伸びただけで花を咲かすこともなく、4月にはこんな姿になってしまいました。
何がいけなかったのかなぁ。
球根だから肥料は要らないってラジオで云ってたので
水しかやらなかったのがいけなかったのかなぁ。


もう一回続きます<(_ _)>


そして三通目
最後です。


ほかにも画像がないけど山椒がだめでした。
買ってすぐに元気がなくなってしまって、ひと月も持たなかったなぁ。
これは買ってきたときのポットから鉢に移すときに根を崩してしまったのがいけなかったと思ってます。
出来ればもう一度連れて帰りたいな。

ほかの子らは頑張ってます。
最近水やりをサボりがちなので、ちょっと弱ってるのもいますが、
何とか持ちこたえてほしいと思ってます。



それでは、よろしくお願いいたします


Kyotoさんのこのお便りを読んでも分かるように
Kyotoさんは 連れ帰ってきた仔たちに深い深い愛情を注いでおられます。
なのに
この仔たちはKyotoさんの手を離れて 逝ってしまったのですね。
Kyotoさんの悔恨の念と愛情が ワタシの心を揺さぶります。

ワタシの場合も
ホームセンターや花屋さんでウットリと眺め
「うちの仔になる?」と連れ帰って 着替えをさせて
お世話することに喜びを見いだし 蜜月を過ごして
ある日突然に異変に気が付き オロオロして
そしていつの間にか忘却・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こんな人生もう嫌っ!と涙に暮れることもありはするのですが
のど元過ぎれば熱さ忘れる世の常で、過ちは繰り返されるのです。

過ちを繰り返しても、思い出だけで生きていけると思ってはみても
またあの仔やこの仔の愛らしい姿や香りに出会うと
ワタシは自分を止められないのです。


悔恨とは「過ちを後悔して残念に思うこと」「―の情」(Yahoo!辞書・大辞泉
頭では分かっているのです。
でも・・・