Y版山姥日記

旧山姥日記

あの頃だってクリスマスは大イベントだったこと

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             東京渋谷の 井の頭線のガード下・・・
             横断歩道の目の前に、不二家がありました。
        
             そのガード下には 傷痍軍人もいましたし
             なによりも、
             バナナの叩き売りがいたので 大変混雑しておりました。

             遠い遠い昔のことです。

             その頃のクリスマスは 今と大して変わってはいませんでした。
             町に流れる音楽が「ジングルベル」と「清しこの夜」だけだった事くらいが違いでしょうか。
             会社帰りのお父さんたちが ツィードのオーバーを着て
             嬉しそうにケーキを買っていく姿は普通のものでした。
             その後の狂乱の経済成長で お父さんたちは家庭からはみ出してしまいましたが
             昭和30年代半ばは まだまだ貧しくても平和な東京だったのです。
             今のように 外国の有名な洋菓子もほとんど知られていませんでしたし、
             舶来の高級なハンドバックも靴も知られてはいませんでした。


             そうして、
             あのガード下の不二家で ケーキを買ってもらうことが大切だったのです。
             買ってもらっての帰りがけ、ペコちゃんの頭をポンと叩いて
             ペコちゃんが頭をふらふらさせて 私に微笑みかけてくれる事が重要な要素でした。


             そして、あのガード下の不二家には
             クリスマス前から うず高く積まれたクリスマスケーキの箱と
             赤いサンタクロースの洋服を着せられたペコちゃんがいたのです。

             金や銀のモールで飾られたひときわ陽気なその不二家
             買い物のお母さんに連れられた子供にとっては夢のような所でした。

             その頃の子供たちは 父母の言うことを聞くことが当たり前で、
             プレゼントも大して高価な物ではなかったように記憶しています。
             6歳上の兄が何を貰っていたのか覚えていませんが
             私は「バービーちゃん」とその洋服を買ってもらったように思います。

             サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるなんて事は
             クリスチャンでないものですから 夢にも思いませんでした。
             プレゼントはデパートで買って貰う物でしかなかったのです。
             あの頃の子供たちは 現実的だったのかもしれません。

             家に帰ってからは
             昨年の『3丁目のクリスマス』に書いたとおりのクリスマス会でした。


   今年は一人きりのクリスマスを迎えています。
   子育て中は それこそいろんなことをやりました。
   樅の樹を買ってきて飾り付けをしたり
   窓にデコレーションしたり
   子供たちのためにプレゼントを用意して
   バレないように枕元においたり・・・

   山姥家の子供たちは
   「うちに来るサンタさんはチョコレートしか持ってこなかったよね」とか
   「毎年 お母さんの手作りの袋に入ってたよね」とか
   親の嘘を 懐かしい思い出に変えてくれました。

   今年はとうとう 両親にクリスマスプレゼントをくれました。
   一人でもちっとも寂しくないのですが
   私の子供たちが それぞれの人と楽しいクリスマスを送っていると思うと
   なんだかとっても温かな気持ちになれるのです。

   それでは皆さま
   めり~~~クリスマス♪



                   写真は今年作った地味なクリスマスアレンジと今月の課題のポインセチアです。