Y版山姥日記

旧山姥日記

嗚呼・・田舎の暮らし

イメージ 1

先日かつての婦人会のお集まりがありました。
婦人会はかなり前に解散したのですが、
名残は歴然と残り、女性部と名を変え生き残っています。
私はこのお集まりが嫌いではありません。

婦人会と言う名前のときは、少々「お上の仰る通り」の活動でした。
なんだか大日本婦人会そのもので、抵抗があったのです。

女性部になってからは、村の集会場でお料理教室だけになりました。
役員が4年に一度まわってきますが、それはそれで、何とかやっているのです。
今回は薯蕷饅頭でした。

ここで暮らすようになって、
日本の隣近所ってこういうものかと、思い知らされる事が多々あります。

氏神様の清掃やお祭りの当番、
お寺のお会式、
お盆前の道つくり、
田圃の用水路の清掃、
それに、官役 (゚O゚;)  等々

租庸調がまだ生きているのかしらと首をかしげる事もありました、昔はね。
出る事が出来なくて、出不足料を支払わなければならない行事もあります。
ちょっと前までは男衆が出れなくて、女衆が出るときも
出不足料の半額を支払うものもありました(今はこれはありません)

ただこのシステムは、みんなで助け合って生きていくためには大切なことなのです。
田圃の水は守らなければならないし、
山の道を切ると言うのは、山崩れを防ぐためには絶対必要な事です。
これらの事は、「生きる」ために不可欠なのです。

ムラ全体がひとつの家族のように、
一生懸命に庇い合い生きていくための方法だと気づくのには
私たち(太っ腹爺と私)はかなりの時間がかかりました。
助け合うと言うのは、自分も助けてもらえるのです。
これからもガンバロウっと!