Y版山姥日記

旧山姥日記

12月4日から8日の富士山・田舎暮らし

12月4日午前9時18分頃
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12月5日
午前8時56分頃
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午前8時57分頃
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午前9時12分頃
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午前3時22分頃 新東名御殿場付近
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12月6日午後3時14分頃
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12月7日午前7時頃
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12月8日午前7時39分頃
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ワタシたち夫婦がこの村に来た頃
村のお寺さんにはご住職がいた。
 
陶房付きの小さな家だったのだが
前の住人の事情も考えて
 
このご住職に家中を祈祷していただいた。
 
 
その後、母屋を作る際に
地鎮祭もこのご住職にお願いした。
 
 
この村は
氏神さんの諸々のことも
富士山西山本門寺塔頭のお上人にお願いしている。
 
 
で、この村の小さなお寺さんの起源は古く
日蓮上人のお弟子のナントカお上人の隠居寺だという。
 
 
先のご住職の移られた後
尼さんが長いことこのお寺を守っていてくださった。
 
この尼さんも亡くなり
村人達はこの尼さまの墓守もしている。
 
その後に来たのが
本門寺塔頭の先代お上人のお弟子で
その方も亡くなり
 
今は無人のお寺になっている。
 
 
 
村の人々は殆どこのお寺の檀家で
しかも、西山本門寺塔頭の檀家でもある。
 
 
 
けれど、我が家は檀家ではない。
 
檀家ではないが
準檀家だと言われ、お寺の行事のお手伝いをする。
 
 
それが三年に一度廻ってくるお会式のお手伝いだ。
 
 
 
 
 
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日陰の南天に霜
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何年か前から簡略化され、おさんどんも楽になった。
 
 
前夜祭も後夜祭もなくなって
一日半のお手伝いとなる。
 
 
本来のお会式は11月の末だけれど
 
この村は西山本門寺のお会式の終わった後になる。
 
お経を上げ
日蓮上人の坐像に焼香し
お上人の講話を拝聴し
代々のこのお寺のご住職のお墓にお参りして
お昼を供す。
 
 
お上人に言葉の中に
「今日は日蓮御上人に会うことが出来る日」
と、言うのがあった。
 
 
なるほどね・・・
 
 
 
宗教心はないけれど
信仰心はたっぷりとあるワタシたち夫婦は
どんな宗教にも否定的ではない。
 
 
 
しかし、このお会式については
信仰心よりはこの村に棲む者の義務として捉えている。
 
村の文化なのだ。
 
 
食文化も然りだが
 
 
 
この村の文化を受け入れることを
三十数年前に決めた。
 
 
自分の育ったところとは比べない。
 
 
ただただ受け入れる。
 
 
 
 
 
なぜならば
 
 
 
この村は何百年も(それ以上かも)
そうやって暮らしてきたのだから
 
後から来た者が
とやかく言うことは失礼だと思うから。
 
 
 
住めば都
 
 
 
 
いやいや、都ではない。
 
公共交通機関はない。
知識人はいない。
文化的な生活も出来ない。
 
 
鄙である。
 
 
 
 
けれども
 
ここに暮らして
親元にいた時間よりもずっと長い時間を過ごした。
 
 
子供達は
ここがふるさとだ。
 
 
 
 
時々
東京に帰りたいと泣きたくなるときがある。
ワタシのふるさとに帰りたい。
 
 
でも、ワタシが帰りたいのは
昭和30年代後半から昭和40年代の東京で
 
父も母も兄も元気で
ニューミュージックが町に溢れ
 
なんだか楽しかった、あの東京だ。
 
今はない。
 
 
 
故郷は遠い。
 
 
 
 
 
それでも
ワタシはこの村で暮らし
 
今の生活に大きな不満はない。
 
日々の瑣末な愚痴を言うことは多々あるが
もうどこにも帰る所はないのだから
 
 
ここがワタシのいるところ。
 
 
 
田舎暮らしの極意は
 
ない。