Y版山姥日記

旧山姥日記

3月22日・23日26日の富士山・合併式典

3月22日午前10時27分頃
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3月23日午前8時2分頃
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3月26日午後4時40分頃
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なんだか
いつもの年より寒いわね
そんな会話は
人穴の牛飼い家での
パッチワークのお集まりの時。
 
 
23日に合併式典に行ってきた
駐車場が無いと困るので1時間前には家を出た。
式場は我が家から20分ぐらいのところだけれど
早めに出て正解で
お浅間さんの馬場に止めることが出来た。
 
静岡県知事やら静岡市長やら
総務大臣代理の人やらの祝辞が続く。
「おめでとうございます」の一言に
吸収合併された弱小の町の住人としては
忸怩たる思いではある。
何が目出度いもんか・・・
 
合併によって
水道代が少々お安くなる。
介護保険料もチョッピリ値下がりするが
その他はみんな値上がりだ。
いろんな事が変わるから
行政からのお知らせは熟読せねばならないし
ゴミの日も変わってしまうし出し方も違う。
 
年度替わりで住所を書くことの多い日々。
我が家の住所なのに馴染めない。
妙なのだ。
背中の手の届かないところがホンの少し痒いような
トイレに行きたいのかどうか分からないような
あら、このスカート少し小さくなったんじゃない?と思うような
煮物の塩加減が少しだけ足りないような
ワタシの美貌のような
不思議な感じで仕方がない。
一年すればすっかり慣れてしまうだろうけど
無くなってしまった町名が懐かしい。
 
でも、と考える。
吸収合併されたとしても
町名が無くなってしまっても
ワタシが生きていると言うことには変化はない。
行政が無理難題を押しつけようが
政治家が浮ついた美辞麗句を並べ立てようが
野の花はちゃんと咲くし
鳥もカエルも虫もみなおしゃべりに夢中だ。
 
山姥村の水神さんが直されて
その水神さんをきちんとお祭りしなければ
田圃の作業は出来ないそうだ。
お百姓の仕事は
季節になれば始まるというものではないこと
神さまがついていてくださるということを
学んだ。
農業に合併は影響はあるだろうが
農作業には合併よりも神さまだ。
ニッポンの神さまは
ニッポン中の其処此処に坐していて
心強い。
怒らせるようなドジさえ踏まなければ
我が民よと慈しんでくださる。
 
 
桜だって
雨にも風にも黄砂にも負けずに咲いてくれたし
楽しいこともあるから
まぁ
いいか・・・