Y版山姥日記

旧山姥日記

お雛さまの事

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  結婚して、子どもが産まれ
  実家の両親が 初節句にお雛さまを買うと言った。
  「自分のお雛さまでいい」と言い張る私に
  「それじゃ、お道具だけ変えようね」と母は納得してくれた。

  私のお雛さまは
  私の初節句には、お内裏さま、その次に三人官女
  それから毎年、一段づつ増やしていったものだ。
  お金のない時代の子だから
  七段の大きなお雛さまを買いそろえる財力が 両親にはなかったらしい
  
  母の友人が、毎年 作ってくれたと聞いている
  私が二十歳になった時
  その母の友人は、押し絵のお雛さまをお祝いに下さった。

  お内裏さまと三人官女の箱書きは 祖父の字だ。
  流麗な力強い墨痕が 祖父の人柄を偲ばせる。

  座敷童女1号の初節句までは
  私のお雛さまのお道具類は、3歳で亡くなった従姉妹のお下がりだった。

  新しいお道具類や
  その頃の流行のお道具・右近の橘・左近の桜を飾った時
  お雛さまがとても立派に見えて、とても嬉しかった。

  座敷童女2号の初節句には
  男の子と女の子の市松人形を 私の両親は揃えてくれた。


   子どもたちが小さい頃  
   おんぶをしたり、柱に子どもを紐でつないだりして
   遊びながら お雛さまを飾ったけれど
   いつの頃からか、飾らなくなった。

   娘たちのお友達の 当世風のお雛さまを見て
   娘たちは「うちのお雛さまは古いから嫌だ」と言うようになったし
   私も、それをいいことに 面倒になっていったからだと思う。



  先月、座敷童女2号に「どうする?」と聞いたら
  「出そうよ!」と言ってくれたが
  未だに出していない。
  なんとなく、怖いのだ。
  何年も出していないお雛さまにあわせる顔がない。

  

                                 ↑の写真は 我が家にある陶雛